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だんだん明るくなってくる。 振り返ると先ほどまでいた雨山峠は深い霧に覆われている。 やはりネーミングのとおり雨の山だ。 | |
沢沿いに進むこの道、 ところどころ崩れているが、勇気をもって進む。 玄倉林道が通行できない現在、この道がユーシンに入る 最短の道なのだが、あまり整備されていないのだろうか。 | |
それでも、危険な場所には階段がある。 | |
テーピングもところどころにある。 登山道と記されているテーピングは初めて見る。 | |
全体的に荒れ模様の道だが、渓谷が美しく 探検家としては非常に満足のいく道だ。 | |
堰堤をいくつも越える。 堰堤に水を通す四角い穴が開いている。 銭湯みたいだ。 | |
沢を見下ろしながら登山道を進んでいく。 少し高度感があるので、慎重に進む。 | |
ダウン! 鉄パイプの歩道が激しく倒れている。 しかし、ここは問題なく通過できる。 | |
美しい渓谷を下っていく。 ここは本当に神奈川県なのかと思わせるほど ダイナミックな光景が続く。 | |
沢の方に向かって急な下りになっている階段がある。 足が滑らないように工夫がされている。 | |
堰堤の上から下を覗くと、 おお、高い・・・。 (写真でお伝えできないのが残念だ) | |
崩れた土砂が登山道をふさいでいる。 これもかなりの高度感があり、緊張を強いられる。 | |
沢を下に見ながら丸太橋を進む。 このあと、キリヤマは大転倒、尻もちをついた。 幸いにも設置さているロープにつかまっていたので、 滑落デビューしないですんだ。 | |
「雨山橋」という地名でなく「桟道」とわざわざ書かれているところから、 作った人の主張を強く感じる。 “立派な桟道を作ったのだから、ぜひここを歩いてくれ” | |
うむ、立派な桟道だ。 | |
実に見事だ。 | |
まだある・・・。 | |
・・・けっこう長い。 | |
おっ、林道が見えてきた。 | |
先にキリヤマが到着。(10:47) 振り返って登山道入口を撮影。 | |
相変わらず、玄倉方面は全面通行止だ。 青崩隧道はいつになったら通れるようになるのだろうか。 | |
ここからユーシンロッジまでは 穏やかな林道を歩く。 | |
やがてユーシンロッジに向かう分岐に到着。 そのあと橋を渡る。 | |
雨山峠から1時間少し、 本日のメイン探検、ユーシンロッジに到着だ。(11:04)
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ユーシンロッジは現在休業中だが、避難所として使える。 しかし、休業中にもかかわらず、建物はまったく傷んでいない。 庭園もとてもきれいだ。
ユーシンを愛してやまない人々が手入れをしているのだろうか。 | |
玄関は封鎖されており、中には入れない。 | |
建物裏手から避難所に入れることを知らせている。 | |
裏手に回ると避難所のドアがある。 よし、さっそく中を探検だ。 | |
ドアには避難所の見取り図が張ってある。 通路をはさんで、部屋と自炊室がある。 | |
ドアを開けると、まず廊下だ。少し暗い。 学校の部室のような懐かしさだ。 | |
部屋を見ると、おお四畳半。 布団もある。畳もきれいだ。そして窓にはカーテン。 なんともゴージャスな避難所だ。 | |
もう一つの部屋は、畳も布団もない。 もちろんカーテンもない。 | |
廊下の突き当りのドアに、張り紙がある。 “ 平成18年3月26日、当ロッジ内で、急逝された、 元ロッジ管理人佐藤芳雄氏のご冥福を心より お祈り申し上げます。合掌 ”
ええ?? それは知らなかった。 | |
炊事場を見ると、こちらもきれいだ。 洗剤にスポンジタワシまでそろっている。 避難所はどこもきちんと掃除されており、 とてもきれいだ。 | |
ユーシンロッジの裏手に母屋がある。 こちらも手入れがされているようで、傷んでいない。 私が小さい頃に住んでいた家に似ている。 とても懐かしいタイプの平屋だ。 | |
母屋の後ろに回るとさらに先に進む道がある。 少し進んでみると、先に薬科大学の建物がある。 | |
この日のユーシンロッジは、 あたりの音をすべて持ち去られたように静かだ。 せっかくなので、ここでお昼を食べる。 | |
さぁ、おなかがいっぱいになったところで、 再び探検だ。(12:00) |
・青崩れ隋道が封鎖されてから、ユーシンロッジ付近は秘境の地となった。
しかし、それにもかかわらず人は訪れる。今日の探検中にも数人の人と出会っている。
ユーシンロッジは人の心を引きつけてやまない。
・寄沢沿いにあるこの慰霊碑について、読売新聞の縮小版で調べてみた。 これは、この近くにあるイイハシの滝で昭和45年に遭難した2人の慰霊碑だ。 江東商校のワンダーフォーゲル部14人が鍋割山から下山中、 女子生徒がイイハシの滝で滑落し、助けに行った先生も亡くなった 痛ましい事故だ。なぜ慰霊碑がイイハシの滝付近ではなくここにあるのか 不明だが、イイハシの滝付近にあった慰霊碑が落石で傷つくため、ここに 移築したと想像される。
・このあとオカラ沢出合を経て、鍋割山方面へ通じる尾根を進む。
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慰霊碑には以下の言葉が刻まれている。 “ 荻野先生と小林信子さん ” “ 美しき自然とうるわしき人間愛を求めてここに眠る ” “ 1970年6月14日 江北高校同窓会 ” |
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