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閉鎖中のユーシンロッジを調査せよ(2)

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だんだん明るくなってくる。

振り返ると先ほどまでいた雨山峠は深い霧に覆われている。

やはりネーミングのとおり雨の山だ。

沢沿いに進むこの道、

ところどころ崩れているが、勇気をもって進む。

玄倉林道が通行できない現在、この道がユーシンに入る

最短の道なのだが、あまり整備されていないのだろうか。

それでも、危険な場所には階段がある。

テーピングもところどころにある。

登山道と記されているテーピングは初めて見る。

全体的に荒れ模様の道だが、渓谷が美しく

探検家としては非常に満足のいく道だ。

堰堤をいくつも越える。

堰堤に水を通す四角い穴が開いている。

銭湯みたいだ。

沢を見下ろしながら登山道を進んでいく。

少し高度感があるので、慎重に進む。

ダウン! 鉄パイプの歩道が激しく倒れている。

しかし、ここは問題なく通過できる。

美しい渓谷を下っていく。

ここは本当に神奈川県なのかと思わせるほど

ダイナミックな光景が続く。

沢の方に向かって急な下りになっている階段がある。

足が滑らないように工夫がされている。

堰堤の上から下を覗くと、

おお、高い・・・。

(写真でお伝えできないのが残念だ)

崩れた土砂が登山道をふさいでいる。

これもかなりの高度感があり、緊張を強いられる。

沢を下に見ながら丸太橋を進む。

このあと、キリヤマは大転倒、尻もちをついた。

幸いにも設置さているロープにつかまっていたので、

滑落デビューしないですんだ。

雨山橋まであと少しのところに、

桟道さんどうと書かれた道しるべがある。

「雨山橋」という地名でなく「桟道」とわざわざ書かれているところから、

作った人の主張を強く感じる。

“立派な桟道を作ったのだから、ぜひここを歩いてくれ”

うむ、立派な桟道だ。

実に見事だ。

まだある・・・。

・・・けっこう長い。

おっ、林道が見えてきた。

先にキリヤマが到着。(10:47)

振り返って登山道入口を撮影。

相変わらず、玄倉方面は全面通行止だ。

青崩隧道はいつになったら通れるようになるのだろうか。

ここからユーシンロッジまでは

穏やかな林道を歩く。

やがてユーシンロッジに向かう分岐に到着。

そのあと橋を渡る。

雨山峠から1時間少し、

本日のメイン探検、ユーシンロッジに到着だ。(11:04)

 

ユーシンロッジは現在休業中だが、避難所として使える。

しかし、休業中にもかかわらず、建物はまったく傷んでいない。

庭園もとてもきれいだ。

 

ユーシンを愛してやまない人々が手入れをしているのだろうか。

玄関は封鎖されており、中には入れない。

建物裏手から避難所に入れることを知らせている。

裏手に回ると避難所のドアがある。

よし、さっそく中を探検だ。

ドアには避難所の見取り図が張ってある。

通路をはさんで、部屋と自炊室がある。

ドアを開けると、まず廊下だ。少し暗い。

学校の部室のような懐かしさだ。

部屋を見ると、おお四畳半。

布団もある。畳もきれいだ。そして窓にはカーテン。

なんともゴージャスな避難所だ。

もう一つの部屋は、畳も布団もない。

もちろんカーテンもない。

廊下の突き当りのドアに、張り紙がある。

“ 平成18年3月26日、当ロッジ内で、急逝された、

元ロッジ管理人佐藤芳雄氏のご冥福を心より

お祈り申し上げます。合掌 ”

 

ええ?? それは知らなかった。

炊事場を見ると、こちらもきれいだ。

洗剤にスポンジタワシまでそろっている。

避難所はどこもきちんと掃除されており、

とてもきれいだ。

ユーシンロッジの裏手に母屋がある。

こちらも手入れがされているようで、傷んでいない。

私が小さい頃に住んでいた家に似ている。

とても懐かしいタイプの平屋だ。

母屋の後ろに回るとさらに先に進む道がある。

少し進んでみると、先に薬科大学の建物がある。

この日のユーシンロッジは、

あたりの音をすべて持ち去られたように静かだ。

せっかくなので、ここでお昼を食べる。

さぁ、おなかがいっぱいになったところで、

再び探検だ。(12:00)

 

感想:

・青崩れ隋道が封鎖されてから、ユーシンロッジ付近は秘境の地となった。

 しかし、それにもかかわらず人は訪れる。今日の探検中にも数人の人と出会っている。

 ユーシンロッジは人の心を引きつけてやまない。

・寄沢沿いにあるこの慰霊碑について、読売新聞の縮小版で調べてみた。

 これは、この近くにあるイイハシの滝で昭和45年に遭難した2人の慰霊碑だ。

 江東商校のワンダーフォーゲル部14人が鍋割山から下山中、

 女子生徒がイイハシの滝で滑落し、助けに行った先生も亡くなった

 痛ましい事故だ。なぜ慰霊碑がイイハシの滝付近ではなくここにあるのか

 不明だが、イイハシの滝付近にあった慰霊碑が落石で傷つくため、ここに

 移築したと想像される。

 

・このあとオカラ沢出合を経て、鍋割山方面へ通じる尾根を進む。

 続きはこちら。 → No36:オカラ沢出合から鍋割山に登頂だ

 

慰霊碑には以下の言葉が刻まれている。

“ 荻野先生と小林信子さん ”

“ 美しき自然とうるわしき人間愛を求めてここに眠る ”

“ 1970年6月14日 江北高校同窓会 

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