2013年7月28日(日) 西丹沢自然教室 〜 下棚 〜 畦ヶ丸 〜 権現山分岐 〜 西丹沢自然教室
読売新聞のT氏から、取材依頼のメールをいただいた。 「丹沢の今」という内容で、お盆くらいに連載記事を企画しているとのこと。 T氏がそのことを取材している際に、我が隊のことを知ったらしい。 探検している私に同行して、取材と撮影をしたいという。 新聞の取材だなんて、生まれて初めてだ。これは興味深い。 こうして、アンヌ隊員と西丹沢に向かった。
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西丹沢自然教室で新聞記者のT氏と待ち合わせる。 私は、なんとなく緊張して 「はじめまして、丹沢の貴公子、ベッカムです」 と言う余裕もない。
T氏の名刺をいただくと、おお! 確かに読売新聞、記者とある。 これは本物だ!(当たり前か)
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まずは、下棚に向かう。
T氏は、物腰の柔らかい、穏やかな青年だ。 お歳を訪ねると、20代半ば。うん、これは若い。 私のような、少しカビているオッサンとは大違いだ。
今日のルートは、下棚と本棚の間にある尾根ルートだ。 本当は、初めて歩くルートの方が探検らしいのだが、 T氏を危険な目に合わせるわけにはいかないので、 事前に歩いたことのある、比較的安全なマイナールートを歩く ことにした。 |
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下棚と本棚の間にある尾根を目指す。 ここから、いよいよマイナールートだ。
歩きながらなるべく山の話をする。 T氏は、ノートにボールペンでメモを取っている。 うん、これぞまさしく、現場の取材だ。 |
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そして、T氏からいくつかの質問を受けたあと、 マイナールートの探検を始めるきっかけ、 なぜ探検を始めたのか、を聞かれる。
これは、予測していた質問だが、 やっぱり上手く答えられない。 |
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その道の先に何があるのか、どこに行くのかを 知りたくて始めた、と答える。
実はこの答えは、数多くある答えのひとつにすぎない。 ホントいうと、自分でもよくわからないのだ。 |
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7月の丹沢は、とても暑い。 しかし、木々の間から差し込む、夏の太陽が気持ちいい。 T氏にも、この魅力が伝わるといいなぁ。 |
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丹沢には、私のお気に入りの木がたくさんある。 その中の一つが、この尾根にあるこの大木だ。 また会えて、とても嬉しい。
こういった、自分だけの一本を見つけられるのも マイナールートの魅力、とT氏に語る。 |
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尾根にある道は、いつしかなくなり、 原生林と植林地帯を見ながら登っていく。
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トロッコの車輪だろうか。 こういった昭和の遺物を見かけるのも、また楽しい。 前回ここに来た2009年10月より、土に埋もれてしまっている。 いつか、地中に埋まってしまうだろう。 |
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これは、ガソリンのタンクのようだ。 ここで、林業の運搬が行われていたのかもしれない。 こういった人の営みを見つけるのも、面白い。 なんて話をすると、T氏はしきりにメモを取っている。 とても取材に熱心だ。
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ヤブ尾根だったところは、 すっかりきれいな尾根になっている。 |
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ヤブこぎは、マイナールート探険の醍醐味だ。 これをT氏に取材してもらいたかったのだが、 これといったヤブもなく、ちょっと残念だ。
ここで、T氏から写真撮影を依頼される。 |
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新聞に掲載される写真なので、 いつものようなアホな写真ではいけない。 私は、立木に手をかけて自然を感じる二枚目のポーズや 物思いにふける紳士のポーズをとる。 演技する必要はない。いつもどおりにしていればいい。
すると、T氏から 「すいません、もっと普通にどうぞ」 (やっぱりダメか…)
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このルートの最後は、急坂を登る。 |
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こうして、畦ヶ丸の稜線に到着。 |
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ここからは、一般の登山道だ。 |
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これも私のお気に入り。 二本の立木の合間を登山道が通っている。 |
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畦ヶ丸の山頂に到着。ここで、補給をとる。
しばらく談話を交わしていると、 T氏がアンヌ隊員に「若く見えますね」とおっしゃる。 もちろんお世辞なのはわかっている。 しかし、アンヌ隊員は大喜び。 おにぎりをひとつ差し上げる。(オイオイ…)
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続いて、権現山への稜線を進む。ここからまたマイナールートだ。
少し下ったところにヤブがある。 ここで、ヤブを歩いている勇ましい姿を撮影することに。 カメラの方を見ないで自然に歩いてください、といわれるが これがけっこう難しい。 |
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私は、写真うつりには自信がある。 しかし、カメラの前では緊張してしまい、 いつもの男っぷりが発揮できないのが残念だ。
俳優やモデルのように自然に歩くのは、とても難しい。 |
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ここ畦ヶ丸、権現山のルートは、踏み跡が明瞭で歩きやすく、 人気のあるコースだ。
大木の元に行き、ゆっくりと視線を上げていくと、 大きく手を広げた枝葉が、青空の中に揺れている。
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以前来たときは、立木に赤いペイントの矢印があったが、 立木についたコケの中に埋もれてしまったようだ。 自然は移り変わるものだということを、あらためて実感する。 |
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ここで、もう一度撮影。 なかなか、T氏の希望通りの写真が撮れない。
この日は、たくさんの写真を撮ってもらった。 新聞の記事ではなく、私の写真集を出してもいいかもしれない。 まったく売れないなら、写真集のタイトルを、 「ベッカム♂写真集」とすればいい。
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本日の探検も終わりに近づいてきた。 新聞の記者さんとお話しできるチャンスはめったにない。 私への取材も終わったようなので、今度は私からT氏に 新聞記者の仕事を質問しまくる。 (申し訳ないが、ここで聞いた話は、関係者への配慮のため 書けない。どうしても聞きたい人は、我が隊に体験入隊をしてほしい)
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こうして、権現山の登山道を下山。 この登山道は、現在は使われていないので、 これもマイナールートだ。
西沢が見えてくると、小学生の団体がいるのが見える。 私は、登山道からマイナールートへ入るときと、 マイナールートから登山道に戻るときは なるべく人に見られないように注意している。 なぜなら、普通に登山をしている人々が、私が歩いている マイナールートを、登山道と勘違いすることがあるからだ。
この日は、西沢にいる小学生に見られたくないので、 しばらく上で待っている。 するとここで、雨が降ってくる。 レインウェアを着るのは暑い。ここは我慢だ。 しかし、やがて大雨になってくる。
しかたがないので、小学生に見つからないように 少し離れた木陰から、隠れるように登山道に入る。 (小学生のみんな。よい子は、真似しないでね)
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こうして、西丹沢自然教室に帰ってくる。 真摯に取材をするT氏に、深く感動した。 充実した一日を過ごすことができたことを、T氏に感謝したい。 |
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我が隊のことが、実際に新聞の記事になるかどうかは、100%決まっている わけではない。掲載される場合は、お盆あたりらしい。(神奈川版のみ) ただ、掲載されなくても新聞記者から取材を受けるという貴重な 体験ができたこと、新聞記者さんの仕事っぷりを拝見できたこと、 それだけでも充分に楽しかった。 さて、新聞は実名報道が原則だ。もちろん年齢も詐称できない。 桐山慶太は、ハンドルネームなので本当の名前が出ても、 私たちのことだと分からないかもしれない。 しかし、丹沢マイナールート探検隊の名前は出るそうなので、 いい反響があるよう願っている。
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実は、取材を受ける前はかなり緊張していた。 マイナールートの探検は、丹沢の新しい楽しみ方、という明るい面がある。 しかしそこは、同時にこんなダークサイドがあるもの確かだ。 「登山道以外を歩くけしからん奴」 はたしてT氏の取材目的は、どっちなのか。 これを先に判断してから取材を受けないと、後々やっかいだ。 もし、ダークサイドの取材なら、言葉尻を捉えられないよう、注意しなければならない。 下手に答えると、マイナールート愛好者にも迷惑がかかる。そこで、アンヌ隊員とは、 もしもダークサイドの場合は、「作戦A」という合言葉で合図することにした。
取材の朝、私はT氏に今日の行動計画を説明するとき、何時まで一緒に行動できるか をうかがった。すると、実際の探検を取材したいので一緒に行動する、という。 私は、仕事で取材する立場にいるので、取材する人の行動が、少し理解できる。 ダークサイドの取材に一日はいらない。せいぜい、一時間で充分だ。 もちろん、探検に同行する必要もない。これで「作戦A」の可能性はなくなり、 私の緊張は解けた。
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今回のコースは、2009年10月の探検記がある。こちらも読んでほしい。 |