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視界5メートルの戦慄。霧の市原新道から生還せよ

本間橋 〜 雷平 〜 市原新道 〜 蛭ヶ岳 〜 丹沢山 〜 本間の頭 〜 本間橋

2011年 5月5日(木)、天気:曇り

行動時間 8:00〜17:20( 9 h 20 min )

探検メンバー : キリヤマ隊長、アンヌ隊員

 

「今いるここは、尾根かな。谷かな。それとも地獄の一丁目?」

かつてこれほどの深い霧を経験したことがない。

数メートル先も見えない。まるで雲の中を歩いているようだ。

自分が進むその先は斜面なのか、崖なのか。地形がまったく見えない。

しかし、勇気をもって進めば大丈夫だ。

いくぞマイナールート探検隊。

雷平へ向かうぞ

「魚止め森の家」の先にある駐車スペースに

マイナー探検1号を止める。(8:00)

まずは、伝道に向かう。

魚止橋を越えて左折する。

(林道をショートカット)

10分ほどで、林道の終点に到着。

ここから伝道沢をわたって登山道に入る。

早戸大滝までの案内看板が、新しくなっている。

以前の看板は手作りだったが、新しい看板は

パソコンで作ったものを大きく印刷したものだ。

「厳しい道のりです」「細心の注意が必要です」

といった言葉が並ぶ。相模原市の安全対策だろう。

さぁ、今日も、はりきって行くぞ。(08:20)

 

次は、雷平へ向かう。

おや?

ロープが新しく設置されているぞ。

これも相模原市の安全対策なのか。

あまりロープに頼るようなところではないが、

ロープがあるだけで、ここが危険個所だということが分かる。

造林小屋を通過して、

その先にある、

いつもの撮影ポイントに到着。

ここは樹木に囲まれ、いつきても

きれいだ。

 

(2010年11月撮影→)

 

そして、最初の丸太橋をわたる。

その先は、斜面にせり出した岩を越える。

ここはちょっと緊張する。

3つめ丸太橋は今にも崩れそうな橋だが、

しっかり補修されており、今日は問題ない。

その先で、ロープの設置された岩場を通過する。

 

増水のたびに流される、早戸川にかかる最初の丸太橋。(08:45)

滑らないように慎重に渡る。

沢をわたるとすぐに、沢沿いの岩場がある。

ここは、設置されているロープを使って登る。

すく上には巻き道もあるので、

そちらを通ってもいいだろう。

2つ目の橋の前で、補給。

2つ目の橋は、少し傾いている。(09:00)

矢印のペイントされた岩の脇を通過する。

金色と銀色にペイントされている。

これも、相模原市の安全対策か。

次に、岩場を越える。

ここにも、安全対策が。

この岩場は、少し高度感があるが、ホールドも足場もしっかりある。

ロープを頼りに、岩の斜面をヘツる。

雷平に到着。(09:10)

右に進むと、雷滝だ。

雷滝までは、左岸(右側)を進む。

以前この付近で、蛭ヒール星人の

襲撃に合いアンヌ隊員が半狂乱に

なったことがある。

(2010年6月のアンヌ隊員。探検記No.65

今日は少し肌寒いので、

蛭ヒール星人はまだ目覚めていないようだ。

それでも、アンヌ隊員はヒルがくっついていないか、心配している。

 

少し進むと、中ノ沢と出合う。もう少し上流から沢を渡る。

左にカーブしたあの先に雷滝がある。

左岸(右側)がガレているのが目印だ。

この付近から沢を渡れる。

流れの浅いところを探して、じゃぶじゃぶ渡る。

右岸(左側)に渡ると、ロープが設置されている。

この先に、雷滝がある。

 

沢を渡ってからなぜか、足下がツルツル滑る。

「おお、滑る。危ないぞ」

「きっとジョニーのせいよ」

ジョニー? そうか、ヒル除け剤「ヒルさがりのジョニー」が

沢を渡ったときに靴底についたからだ。

ジョニーは、セッケンの成分を含んでいるのだろう。

こうして雷滝に到着。

さぁ、いよいよ市原新道だ。(9:45)

いくぞマイナールート探検隊!

 

 

国土地理院の地図に加筆(以下同じ)→

探検家のあこがれ、市原新道へ

雷滝の左側(右岸)の岩場を登って行く。

岩場といっても、岩と岩の合間の溝を登っていく。

 

ここは、とくにテクニカルな岩場ではない。

すぐに踏み跡が現れる。

登って行く途中で、

雷滝を横から見ることができる。

なかなかダイナミックな流れに、しばし見とれる。

雷滝の荒々しさから比べ、

滝の上部は、清らか流れだ。

踏み跡にしたがって、どんどん登って行く。

 

標高が低い位置にある樹木には、

新芽がついてきれいだ。

市原新道を示すお皿を通過。

そして、シカ柵沿いの道になる。

この後、道はシカ柵を左に見ながら、

つづらおりになって登って行く。

標高が高くなってくると、まだ新芽がついていない。

このあたり、夏場は緑がとても美しいに違いない。

急な斜面を、踏み跡に沿って登って行く。

しばらく、長い登りが続く。

ようやく尾根が見えてくる。

すると、霧が出てくる。

 

標高の高い所に来たので、

霧というより、雲の中といったほうがいいだろう。

枝葉を伸ばした樹木が

ぼんやり見えている。

鳥のさえずる声がする。

近くの枝を、渡り歩いているのも見える。

 

静かな森の営みは、気持ちを落ち着かせてくれる。

しばし、ここで鳥のさえずりを聞いて、しっとりする。

やがて、1352 m ピークに到着。(10:55)

ここで補給をとる。

このあたりまで来ると、

雲の中にすっぽり入った感じだ。

今日は、地図にマーカーで色分け

をしてきた。探険家はっぴーさんに

教わったマーキング方法だ。

しかし、周囲が見えないので、

現在地が分かりにくい。

「これ、慰霊碑みたいよ」

おお、ここにあったか。(11:15)

遭難慰霊碑があることをweb情報で知っていたが

どこにあるのか、わからなかったのだ。

この遭難慰霊碑は、とても古いものだ。

これについては、あとがきで語る。

その先は、シカ柵沿いの道になる。

柵の内側は、もみの幼木がたくさん生えている。

この幼木が育ったときは、モミの森になるだろう。

バイケイソウがちらほら見える。

バイケイソウといえば、ツツジ新道の

木道が思い出される。

ここにも将来、バイケイソウが

たくさん生えるのだろうか。

(2008年6月、檜洞丸ツツジ新道→)

かなりの急坂を登り始める。

今日は、急坂が多い。

やがて、ポッカリと開けた場所に出る。

なかなか、気持ちのいいところだ。

霧で周囲が見渡せないのが残念だ。

ぼんやり建物が見えてきたので、

蛭ヶ岳山荘が見えてきたのかと思ったら、

シカ柵だった。

シカ柵を過ぎると、突然目の前に蛭ヶ岳山荘が見える。

 

おや、ここにも何かあるぞ。おお、また慰霊碑だ。

1950年(昭和25年)4月、

米軍の輸送機が、蛭ヶ岳に墜落した。

これは、その事故の事故の慰霊碑だ。

山頂に到着。

よし、市原新道を攻略した。(11:55)

すごいぞ、マイナールート探検隊。

蛭ヶ岳山頂からの展望は、まったくない。

ここで、昼食をとる。

今日は、山の食事として、登山用品店においてある、

「尾西の山菜おこわ」を食べてみる。

これが、意外においしい!アンヌ隊員、大喜びだ。

見えないぞ、白馬尾根はどこだ

さて、下山は白馬尾根を使う。

まずは、鬼ヶ岩ノ頭へ向かう。

水の中に灰色の絵の具を溶かしたような、

そんな光景が広がる。

鬼ヶ岩から、蛭ヶ岳方面を望む。

今日は、まったく見えない。

 

(2009年6月撮影)→

白馬尾根の入口に到着。(12:40)

ここから伝道まで下るつもりだ。

白馬尾根は登ったことはあるが、下りは初めてだ。

踏み跡にそって下って行く。

白馬尾根は、一般の登山道のような明確な道がないので、

地形で判断して下っていくしかない。

しかし、こう霧が深くては、地形がよく見えない。

大丈夫かなぁ。

 

白い煙の中を泳ぐような感じだ。

迷いそうで、ちょっと怖い…。

 

 

あれれ、こんな所だっけ?

まずいよ、これ。

 

たどってきた踏み跡は、

いつしかシカの踏み跡になっている。

その踏み跡も、見失ってしまった。

そして、周囲をうろうろしているうちに、

ガレ場の谷間に出た。

 

こんなところにガレ場があるのはおかしい。

ここは沢の上部ではないか。やばい…。

アンヌ隊員は意外にへっちゃらだ。

怖くないのかなぁ。

 

とにかく、登りかえして、稜線に戻ろう。

このまま下って行ったら、

霧の先が崖の可能性もある。

安全を最優先だ。白馬尾根の下山は中止だ。

丹沢山から本間ノ頭に向かい、そこから本間橋まで下る。

かなり大回りになるが、このルートならたとえ霧が濃くても大丈夫だ。

 

しかし、わたしの判断に、アンヌ隊員は納得しない。

そのコースでは体力的にきつい、という。

 

 

「姫次に向かって、榛ノ木丸から下ったらどう?」

「そのルートは、かえって大回りだよ」

 

「コンパスを使えば白馬尾根を下れるはずよ」

「地形がわからないと、コンパスだけが頼りだよ。無理だ」

 

「それじゃ、今日登ってきた市原新道を下りましょうよ」

「踏み跡がはっきりしないところが多かった。やっぱり危ないよ」

 

霧の中、初めて下る尾根を、コンパスと地図だけで下れる勇気は無い。

むやみに下って、やっぱり分かりませんでした〜 なぁんてことなったら、

そこから登りかえすのは大変だ。

時間の余裕もなくなり、最悪ビバークになる。

こうして、登山道まで登ってくる。

鬼ヶ岩ノ頭から棚沢ノ頭にしばらく向かったところに出た。

 

白馬尾根を探して、さまよっていた時間は、

感覚的には20分ほどだが、実際には、50分もさまよっていた。

あらためて地図を見ると、先ほどのガレ場は白馬尾根から

とんでもなく外れたところにあった。

あのまま下っていたら、本谷沢の上流に出てしまったはずだ。

 

よし、ここから本間ノ頭を目指すぞ。(13:30)

日が暮れる前には、下れるはずだ。

本間ノ頭までは、かなりの距離、そして標高差がある。

なにせ、山を8つも登らなくてはならない。

 

 ※棚沢ノ頭 → 不動ノ峰 → 丹沢山 → 瀬戸沢ノ頭 →

  太礼ノ頭 → 円山木ノ頭 → 無名ノ頭 → 本間ノ頭

稜線の両脇は、霧でまったく見えない。

霧というより、雲の中だ。

この状態で、雪が積もっていたら、

おそらく、ホワイトアウトだろう。

 

1つめ、棚沢ノ頭を通過。

2つめ、不動ノ峰を通過。

今どの辺りを歩いているのか、

あとどのくらいで丹沢山だろうか。

現在地はさっぱりわからない。黙々と歩く。

すると霧の中に突然、丹沢山頂、

みやま山荘が現れる。

(14:30)

山頂には、誰もいない。

もっとも誰かいても見えないだろう。

目の前にあるはずの

みやま山荘も、まったく見えない。

ここまでとても疲れたが、大丈夫だ。

よし、あと、5つ登るぞ。

堂平への分岐を左に進み、

瀬戸沢ノ頭に向かう。

 

 

何度も歩いている丹沢三峰の稜線。

いつもは、周囲の自然を楽しみながら歩いているのに、

今日は、地面だけを見て、黙々と歩いている。

 

4つめ、瀬戸沢ノ頭を通過。

5つめ、太礼ノ頭を通過。

このあたりで、アンヌ隊員のペースがゆっくりになる。

 

何度か書いたが、アンヌ隊員は、肉を食べない。

したがって、体力が普通の人よりも持続しない。

 

この日の累計標高差は、約1600m。

アンヌ隊員にとっては、過去最高の標高差になった。

 

すっかり疲れたアンヌ隊員は、口数が少なくなり、

わたしが笑わせても、反応がなくなってくる。

6つめ、円山木ノ頭に到着。(15:30)

ここで、倒木に座って、休憩。

 

「なにも食べる気がしないわ」

「しばらく休もう」

 

アンヌ隊員のザックの中身を

わたしのザックに移す。

こうして、彼女の負担を軽くして、再出発。

7つめ、無名ノ頭を通過。

本日、5月5日は、わたし達の結婚記念日。今年で20周年だ。

夫婦の探検家は多いが、結婚記念日に霧にまぎれて、

エスケープルートを行く夫婦は、めったにいない。

20年間の思い出話をしながら、楽しく歩くはずだったが、

アンヌ隊員は黙々と歩いている。

(わたしは新曲「ヒルのテーマ」を歌っている)

8つめ、本間ノ頭に到着。(16:00)

よし、ここまでくれば、もう登りはない。

本間橋まで下るだけだ。

 

 

アンヌ隊員のザックの残り物を、すべてわたしのザックに入れる。

幸い今日は、いつもより大きなザック、35リットルのザックだ。

2人分の荷物が余裕で入る。

 

よし、日が暮れる前に下山だ。

この道は、「山と高原地図(昭文社)」で

破線表記で、“急坂、ロープあり”と記載されている。

下り始めてしばらくは、明瞭な踏み跡が続く。

このルートは途中、踏み跡が消え、分かりづらいところがある。

そこで霧に巻かれたらお手上げだ。

道をはずさないように、慎重に下る。

やがて通せんぼするように、道しるべがぶらぶらしている。

この左折ポイントはとても重要だ。

道が不明瞭になってくるのは、このあたりだ。

霧でよく見えない今日は、とても緊張する。

おお、あそこにテーピングが。踏み跡もかすかにある。

よし、これで安心だ。

 

3つめの道しるべを通過する。

やがて倒れたシカ柵沿いの道になる。

このシカ柵はしばらく続く。

そして、左折のポイントに到着。

保安林の看板が目印だ。

尾根もシカ柵もまっすぐ進んでいるが、ここは左折だ。

(まっすぐ進むとヌタノ丸に向かう)

この左折ポイントは分かりにくい。

しかし、道しるべが設置されている。

最近、設置されたようだ。

これでここも、だいぶ分かりやすくなっただろう。

少し下ると、ロープが設置されている斜面がある。

ここが本間橋への登山道だ。

ロープがなければここが登山道とはとても思えない。

登りでは、体力を使うが、下りはラクチンだ。

しかし、ヒザに負担がかかる。

我が隊は、「疲れた」という言葉を禁止にしている。

「疲れた」ということで、余計に疲れを感じるからだ。

しかし、アンヌ隊員は、かなり疲れているはずだ。

 

今度は、尾根を通せんぼするように

ロープが設置されている。ここは左折。

ここにも、道しるべが新設されている。

やがて小さな沢を越える。

逆方向から来たときは、このポイントは分かりにくい。

ケルンがあるが、沢からここに登山道があることが見えない。

あとは沢を離れないように下っていけばいい。

ここまでくれば安心だ。

沢を渡るポイントに到着。

日が暮れると、こういったものが見つけられなくなる。

日のあるうちに、ここに来られてよかった。

水道施設のそばを歩いて行くと、

最後に茂みの中を通り、

魚止め森の家(旧、丹沢観光センター)の入口に出る。

(17:15)

ここまで来て、ようやくアンヌ隊員の表情が

和やかになった。

無事に戻ってこられてよかった。

すばらしい探検に祝福を。(17:19)

 

あとがき

・市原新道にある慰霊碑は、昭和17年にあった遭難事故を今に伝えるものだ。

・蛭ヶ岳米軍機墜落事故の慰霊碑は、蛭ヶ岳の山頂の北側にある。

 この事故の詳細は、ウィキペディア、蛭ヶ岳米軍機墜落事故に詳しい。

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