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はなじょろ道を世に広めよ。里山探検だ

尺里峠 〜 尺里 〜 高松山 〜 はなじょろ道 〜 虫沢林道 〜 尺里峠

2010年1月24日(日)、天気:晴れ

行動時間 9:10〜15:00(5h 50min)

探検メンバー : キリヤマ隊長、アンヌ隊員

 

今回、我が隊は 「はなじょろ道」 探検を決行した。

この道は、高松山付近にある古道で、地元の有志により

3ヶ月ほど前に整備復活した。しかしまだ一部の人にしか

知られていない。といことは、これはマイナールートだ。

よし、我が隊が探検取材して世に広めよう。

 いくぞ、マイナールート探検隊。

峠道を自転車でダウンヒルだ

尺里峠ひさりとうげまでの道は、

とてもわかりにくい。

まずは、R246から高松山入口バス停を経て、

東名を越える直前、左折。

橋を越えたら右折。

石碑のある分岐をまっすぐ。
お手洗いのある分岐は、左折。

次の分岐は、まっすぐ。

次の分岐は、左折。

こうして尺里峠に到着。(09:10)

マイナー探検1号を止めるが、

思ったより狭い。

あと一台くらいは止められるかな。

さぁて、今日も楽しい探検だ。

まずは、自転車で今来た道を尺里まで下る。

下っていくとすぐに茶畑がある。

茶畑は日の当たる暖かいところにあるのがふつうだ。

この辺りは暖かいのだろう。

しかし、ウォーミングアップもせず、

自転車でいきなり下り始めると、かなり寒い。

まだ5分も下っていないのに、

早くもアンヌ隊員は、寒くて表情が固まってくる。

おそらく思考も固まっているだろう。

(アンヌ隊員はとても寒がりなのだ)

せっかくの富士山ビューポイントもろくに見ないで、

どんどん下っていく。

少しでも登りがあれば身体が温まるのだが、

尺里までは、ずっと下りだ。

自転車の上でじっとしている上に、風をまともに受ける。

途中、何度か日向で暖を取りながら下っていく。

道端に石碑があるところで休憩。

石碑マニアのわたしとしては、捨て置けない。

この石碑は残念ながら、風化して表面には何も無い。

土台がコンクリートで固められていることから、

どこからか移築してきたと想像される。

よく見ると「寛文十三」と読める。

聞いたことがない元号だが、とにかく古そうだ。

 ※後で調べたら、寛文十三年は、1673年、337年前。これは古い。

  江戸幕府四代将軍、徳川家綱いえつなの時代。

  こんなに古い石碑はめずらしい。しまった。もっとよく見ておけばよかった。

ビリ堂への登山道入口まで戻ってくる。

ここまで約40分かけて下ってきた。

自転車は、お手洗いの脇に止める。(09:50)

とても寒いので、少し早歩きで体を温めよう。

東名自動車道の脇を進むと、

坂を登りきった、東名が見下ろせるあたりで道は右に向かい、

山の方向に進んで行く。

しばらく進むと、石像がある。

観音の上に馬の顔がある、馬頭観音だ。

この石像は、元号が読み取れない。

馬の表情も、観音の表情も、

すっかりすり減っている石碑だ。

そのおかげか、とても穏やかな顔になっている。

斜面にはミカン畑が広がっている。

やがてコンクリートの道が終わり、

未舗装の道になる。その後、竹林の脇を通る。

竹林のあとは、別の作業道に合流する。

このあたりからは、尺里の平野がよく見える。

里の家並みをじっと見つめていると、

なんだかとても悲しくなってくる。

どこかで見たような、そんな懐かしい里の風景。

どうしてこんなに悲しいのだろう。

遠くから電車の音が響いて来る。

陽の光がやわらかく、空はとても青い。

畑にはミカンが実っている。

やがて作業道が終わり、

高松山への登山道が始まる。

ビリ堂の石像を調査だ。そして高松山へ進め

緩やかな坂を登っていく。

登山道というより、ハイキングコースだ。

大きなコンクリートの塊がある。

なぜこんなところにコンクリートがあるのだろうか。

何かの台座のように見える。アンヌ隊員いわく、

「途中で作るのをやめた、鉄塔の土台じゃないかしら」

ええ?? まさか。

この道は、常緑樹が多い。さらに風もなく、暖かい。

こういった低山のハイキングコースは、冬の登山に最適だ。

ちょっと登山道を外れて、鉄塔を見学する。

先ほど見たコンクリートの塊と同じ台座だ。

やっぱりさっきのは、途中で製作をやめたのかな。

2つ目の鉄塔を越えた先に、石像がぽつんと立っている。

こういった何気ない石像が、この里での昔からの生活を感じさせる。

表に彫られている元号が欠けてしまっているが、

おそらくこの先にあるビリ堂に関連した石像だろう。

石像の先には、「喜八郎縁の地」と書かれた塔が立っている。

説明書きがないので、詳しいことは分からない。

裏側に平成15年とあるので、そんなに古くはないようだ。

さらに植林地帯を先に進むと、

やがてビリ堂が見えてくる。

ビリ堂には石像が2つある。「堂」という名前から、

かつてここには、何かを祭った建物があったと想像される。

左の石碑は、明治11年(1878年)、

右は文化10年(1813年)。

文化の作品は、およそ200年もの月日がたっているのに、

馬の部分がちゃんと残っている。

(ちょっとラブリーな馬だ)

ビリ堂のいわれと、岩清水の説明がある。

この水は飲用できるらしい。

ビリ堂を後に、どんどん登っていくと、

急な坂になってくる。

この辺りで、犬が吠えているのが聞こえる。

やっぱりわたしは、犬によく吠えられるキャラなのか。

谷の下のほうに2匹の犬がいる。

どうやら猟犬だ。ハンターはいない。

谷を登れずに、何度も斜面を転げ落ちている。

わたしに気がつくと、シッポをふっている。

(吠えられなくてよかった)

もうすぐ、高松山の山頂だ。

最後にもうひと登りして、

西ヶ尾山への分岐を通過。

(写真奥は、西ヶ尾山への登山道)

その後、少し平らなところを進むと、
高松山の山頂に到着する。

道しるべには、「頂上」と書かれているが

高松山の名前が書いてない。珍しいタイプの道しるべだ。

この日の山頂は、たくさんのパーティでにぎわっている。

昼食をとり、山頂を後にする。

先ほど来た道を戻って、はなじょろ道に向かう。

山頂から5分ほどで、先ほどの分岐に戻ってくる。

ここから先は、地図では破線で記されている

マイナールートだ。(12:40)

しばらくは、シカ柵沿いに進んでいく。

先ほどまでのハイキングコースと違い、

ちょっと道が不明瞭だ。

あたりは少し暗く、マイナールートらしくなってくる。

分岐に到着。(12:52)

ここで右折する。

直進すると八丁のほうに行くらしい。

 

この道しるべがなければ、

見落としてしまいそうな分岐だ。

少し急な坂道を下っていくと、

はなじょろ道への分岐(十字路)に到着する。

高松山から約30分だった。

はなじょろ道は、明治末期まで、八丁と虫沢を結んでいた

山越えの道だ。3ヶ月ほど前に「虫沢古道を守る会」が道を整備した。

この道しるべも、彼らが立てたものだ。

本日のメインテーマ、はなじょろ道を探検だ

さぁ、本日の探検、

はなじょろ道(虫沢側)に進む。

行くぞ、マイナールート探検隊。

(13:00)

下り始めには、まだ新しい階段がある。

沢に向かって谷間をジグザグに下っていく。

道は丸太で縁取られており、わかりやすい。

道が不明瞭なところには、ビニールテープがある。

さらに、道しるべもある。これなら安心して探検できる。

はなじょろ道には、無数の管理道が交差しており、

どの道が本線か迷ってしまうところが多い。

しかし、道しるべに従って進めば、迷うことはない。

植林地帯をぐんぐん下っていく。

 

このあたりで、アンヌ隊員が

「帰りに、コンビニのおでんを食べよう」という。

それはいいけど、なぜ急にそんなことを言うのだろうか。

不思議に思っていると、

これか…。 

今日のコースは、危険なところもなくノンビリ探検だ。

アンヌ隊員の左手には、常にお菓子の袋がある。

さらに先に進むと、さらに多くの道しるべが立っている。

道しるべを立てた人に感謝したい。

現在の峠道ができる前、はなじょろ道は

主要な生活道だったのかもしれない。

きこり、農家、炭焼きなどを生業とした人々が

使っていた道なのか。

そう思うと、周りの風景もちょっと違った感じに見えてくる。

人が通ることで掘られ、溝になっているこの道。

彼らの足跡の上を歩いていると思うと、

ここを通った人と心を合わせたような気持ちになれる。

稜線から45分、虫沢林道が見えてくる。

虫沢側の入口に到着。(13:45)

今日の探検はここでおしまい。

ここからは虫沢林道を進む。

道が下っているので、駆け足で進む。

やがて虫沢の集落に到着。里の道を進んでいく。(14:00)

のどかな里山の風景を左手に見ながら進んでいく。

茶畑の間を進んでいくと、

やがて山間の道になる。

この林道からは、東丹沢が一望できる。豊な眺めが広がっているパノラマだ。

大山、三ノ塔、塔ノ岳、鍋割山。東丹沢の大観を堪能できる。

 

この林道にも「虫沢古道を守る会」の立てた道しるべがある。

尺里峠までの旧道だ。

この林道ができる前までの生活道だったのかもしれない。

虫沢の集落から約1時間で、尺里峠に到着。

マイナー探検1号に戻ってきた。(15:00)

帰りに自転車を回収。

今日も楽しい探検だった。

 

あとがき

 

はなじょろ道は、神奈川タウンニュースの10月10日号に、

「花嫁の通り道、再び虫沢古道を守る会が整備に着手」というタイトルで掲載された。

その記事によるとこの道は、明治末期まで、山北町共和の八丁地域と松田町寄の

虫沢地域を結んでいた山越えの生活道だ。花嫁が牛に家財道具を載せ、

嫁いできたことから「はなじょろ道」と呼ばれたらしい。この道を復活させようと、

「虫沢古道を守る会」がこのほど整備した。

 

記事内には、整備した人のコメントが紹介されており、いわく

「ぜひ多くの人に歩いていただいて、道を踏み固めてもらえれば」

登山者のオーバーユースが問題になる昨今、このようなことを推奨されるとは

なんと嬉しいことではないか。探検家の皆さんも、どしどし踏み固めてほしい。

 

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