2013年9月28日(土) 文化洞トンネル 〜 毛無山 〜 十二ヶ岳
最近の我が隊は、なっとらん! 丹沢マイナールート探検、というタイトルなのに、 マイナールートの探検を全然していないぞ。
そこで今日は、気持ちを新たにするため、 修業の山、十二ヶ岳で切磋琢磨する。 |
木々の通じ合う、毛無山へ |
文化洞トンネルのそばにある駐車場に マイナー探検1号を駐車。 ここには、20台ほど駐車できる。 |
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トンネルの脇、駐車場の奥の方に 毛無山への登山道入り口がある。(7:50) |
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道はトンネルの上を通過する。 道は明瞭だ。 |
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登り始めて10分ほどで、広場に出る。 ここには「忠魂碑」と刻まれた石碑と 戦時中の軍人の墓石がある。
先週は、お彼岸だったはずだが、 お参りしたような物は見かけない。 |
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馬頭観音などの石碑もある。
年号を確認すると、わずかに「天明」「己年」と読める。 天明と言えば、江戸時代の四大飢饉の一つ、 あの「天明の大飢饉」の時代だ。 |
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これは、かなり古い。 (自宅に帰ってから調べて見ると、224年前!)
これから登る十二ヶ岳に何か関連があるのかもしれない。 などと天明時代の営みを想像して、 しばし、しみじみする。 |
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石碑のある広場から5分ほどで、分岐に着く。 (今日のルートには、道しるべがたくさんある)
毛無山へ稜線を進むと、 道は、アカマツの森の中へ続いていく。 |
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最近、森の中にいると、樹木は互いに通じ合っている と感じることが多くなった。
もちろん、樹木に口や耳があるわけではないので、 会話ではない。沈黙の中での会話だ。
言語を持たない動物でも、互いに通じ合っている。 命あるものは、かならず通じ合っている。 木々や草花は、命を持っている。 樹木は、互いに通じ合っていると確信している。 |
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やがて、右方向にカラマツの林が見えてくる。 こちらは、アンヌ隊員のお気に入り。 |
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道を挟んで、右がカラマツの森、左がアカマツの森。 2種類の松が、このように分かれているのを見るのは、初めてだ。
ここでもまた、しみじみする。 |
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駐車場から約1時間。 長浜への分岐に着く。(9:00) |
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分岐を越えた後は、急坂になる。 |
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急坂の最後は、笹原を登っていく。 このあたりまでくると、急に視界が開け、 富士山、西湖が見渡せる。 |
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駐車場から約1時間半で、 毛無山1500 mの山頂に到着。(9:20)
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山頂はあまり広くないが、 山頂からの眺めは格別だ。 |
いよいよ、修業だ。十二ヶ岳へ |
さぁ、ここからが今日の本番。 十二ヶ岳への修業が始まる。
毛無山から十二個所のピークがあり、 各ピークには看板がある。 |
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一ヶ岳、二ヶ岳を越えて行く。 このあたりは、看板がなければ、 わからない程度の小さなピークだ。 |
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続いて、三ヶ岳、四ヶ岳を越える。 このあたりから、「岳」という感じがして いよいよ修業らしくなってくる。 |
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四ヶ岳からは、十一ヶ岳、十二ヶ岳の ビューポイントがある。 近くで見ると、険しい山に見える。 |
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四ヶ岳の岩場には、ロープが設置されている。
今日は、修業なのだ。ロープに頼ってはいけない。 しかし、ケガをしたら修業ができない、と解釈を変え、 ありがたくロープを使わせてもらう。 |
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五ヶ岳、六ヶ岳を通過する。 こちらは、修業するには充分な「岳」だ。 |
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七ヶ岳のピークは大岩。修業の道は、このピークを越える。 登るには、なかなか厳しい岩だ。
七ヶ岳のピークも登山道は、大岩を巻いている。 ここでも修業の解釈を変えて、 ありがたく、登山道を進む。
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八ヶ岳は、普通のピーク。 (修業にならなくて残念だ) |
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九ヶ岳のピークは、また大岩。 ここには、間違えて岩に登らないよう、トラロープがあり、 修業を阻まれてしまう。
“ここでは修業禁止”と解釈し、巻道を行く。 |
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九ヶ岳の先を、ぐぐっと下って、 |
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十ヶ岳のピークは、大岩だ。 ここで修業するには、私の精神が至らない。 このような未熟者が安易に修業することは、 十ヶ岳に対する不遜である、とさらに深く解釈し、 巻き道を行く。 |
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十一ヶ岳の登りは、ロープのある岩場。 ようやく、修業らしくなってくる。 |
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振り返ると、毛無山、十ヶ岳が見渡せる。
昔の修行僧もこの風景を見たのだろう。 そう思うと、彼らと気持ちがつながった気がしてくる。 またしても、しみじみする。 |
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十一ヶ岳に着く。 ここは、ピークに登山道が通っている。 |
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山頂からは、周囲の展望はないが、 次に行く十二ヶ岳の山頂が見える。
いよいよ、最後の修業だ! |
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十一ヶ岳から岩場を下る。 この下りは、かなり長い。修業としては最適だ。
ずっと下まで見下ろせるので、かなり怖い。 設置してあるロープは、運動会で使う綱引きと 同じくらい太い。つかみやすく、楽に修業できる。 |
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下りきった先には、キレットがある。 ここには、吊り橋が掛かっている。 |
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吊り橋は、定員一名。 「渡れ」と厳命(?)している看板がある。
修業する者に命令するとは、何たる不遜だ。 そもそも、橋を使ってしまっては修業に ならんではないか! |
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しかし、橋を堂々と渡ることが修業と、解釈を変え ひとりずつ、ゆっくりと渡る。 |
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せっかくなので、先にわたったアンヌ隊員に 私も記念撮影してもらう。
吊り橋は、思ったよりも安定感があり、安心して渡れる。 訓練すれば、玉乗りをしながらお手玉もできるだろう。 |
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最後の十二ヶ岳への登りは、かなりの急坂。 続いてテクニカルな岩場があり、 先行する修行僧との渋滞も発生する。 |
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振り返ると、十一ヶ岳が目前に。 その向こうには、節刀ヶ岳から破風山への稜線が見渡せる。 |
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岩場が終わった後も、さらに急坂が続く。 そして、下山の桑留尾の分岐に着く。 ここから山頂までは、平坦な道だ。 |
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毛無山から約2時間。(11:20) 十二ヶ岳の山頂に到着。 (1688m) |
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富士山と西湖が美しい。 この美しさを感じる精神を養ってくれたのは、 今日の修業のおかげ、と解釈し、自己評価を高める。 (うぬぼれも高くなった) |
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十二ヶ岳の山頂も広くない。 日陰を探して、お昼ごはん。 |
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この日の十二ヶ岳は、人口密度が高い。 日陰には限りがあり、みんなで仲良く昼食だ。 |
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昼食の修業が終わり、 桑留尾へ向かって下山。 |
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十二ヶ岳の直下は、 途中にロープが設置されているところもあり、 それなりに険しい。
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「一人づつわたれ」と命令している看板がある。 しかし、付近に危険なところはない。 以前は丸太橋でもあったのだろうか?
さらにアンヌが先行で下っていく。 やがて、道を外してしまう…。 |
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しばらく進んで、アンヌ隊員気が付く。 「道を間違えているんじゃない?」 「いや、まだ踏み跡が少しあるよ」 「戻って確認しましょうよ」 「でも、下の方につづら折りの道が付いているよ」 「急に道がなくなるのは、おかしいわ」 「ほら、あそこに道が付いているよ」
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話がまったくかみ合わない。来た道を戻ってみると、 ロープの設置されている正しい道がすぐに見つかる。 (アンヌの指している方が正しい道) 写真の左奥に明瞭な踏み跡があり、 先ほどは、そちらの方に進んでしまった。 |
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「へぇ、アンヌでも間違えることがあるんだね」 「隊長がきちんと見ていないからでしょぉ」 「でも、間違えたのは、アンヌだよ」 「普通は、後ろの人が気が付くものじゃない?」
依然として話は、かみ合わない。(修業が足りないのか?)
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さらに下っていくと、急な坂は終わり なだらかな道になってくる。 |
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開けた場所に、お地蔵さんがある。 |
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なかなか穏やかな表情だ。 あまり劣化していないので、 江戸時代のお地蔵さんではないだろう。 |
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稜線を下りてしまうと、広い林の中の道になる。 ともすると、道を見失いそうだが、 ところどころに、道しるべもあり、 周囲を見渡しながら、慎重に進めば大丈夫だ。 |
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やがて斜面を横切る道になり、 小さな沢を越える。 |
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西湖が近づいてくると、 森の感じが優しくなってくる。 |
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分岐を左に進み、西湖の県道に沿うように 斜面を横切る道がある。 |
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「通学路」と書かれた、道しるべがある。 すぐそばには、舗装された県道もあるのに、ここが通学路? (帰宅後、webで見ると、西湖が氾濫した時の道らしい) |
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やがて民家のある道路に出る。 逆コースで登る場合は、この登山道入り口は分かりにくい。 (右の写真が道路から登山道入り口を撮影したもの) |
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廃屋のある細い道を西湖に向かって進むと、 県道に出る。 |
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先ほどまでいた十二ヶ岳が見える。 こうしてみると、かなりの急坂だったことがわかる。 |
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文化洞トンネルの向こう側に駐車場がある。 今日の探検はここまで。いい修業ができた。 (14:10) |
十二ヶ岳はなぜ12という数字なのだろうか。
前後の山を入れたら十三ヶ岳や、十四ヶ岳ともいえるはず。
時計も12時間、一年も12か月、干支も十二支だ。
仏門の修行に、十二の業などというものがあるのかもしれない。